■ シュトライン 4

ヘーゼル姫が嫁ぐと言う話は、瞬く間に城中に広まった。
仕立て屋が頭を下げる横を通りすぎると、後ろから図体の大きい熊の様な男が手を振りながらやって来た。男はちらと頭をさげたままの人物に目を向け、並ぶ。
「ああ、アルディの所か。この頃多いな。……で、お前はどうするんだ?」
悪戯っぽい顔の同僚に冷笑を向け、まさかとヒースは続ける。
「俺に何か出来ると?」
身分違いの恋や駆け落ちなどは物語だけの話だとヒースは思う。そもそも前提は全て両思いの場合で、幼馴染とは言え、自分達は恋人などと言った甘い関係では無い。
「それは俺だって分るけどさ…身分差があるんだろうし」
「なら良いだろう、さっさと持ち場へ戻れ。お前の部下が哀れだ」
「おま……不機嫌にも程があるだろう。真面目なお前に限って有り得ないだろうが、仕事に支障を出すなよ?」
「誰かと違ってな」
「はいはい。どーせ俺は、腕だけで成り上がってきた、平民ですよ」
途中で同僚は分かれた。
「エインズワースか…」
「ヒース」
聞きなれた声に、体が反射的にその方向に向く。大きな扉から、ヘーゼルの顔が見えていた。知らず知らずのうちに、彼女の部屋の前まで来てしまったらしい。
「申し訳ありません、直ぐ立ち去ります」
言葉の通り直ぐに背を向けたヒースに、ヘーゼルは焦ったように引き止めた。
「ちょっと、ヒースってば。話を聞いて頂戴」
「私は仕事中なのですが……」
出来れば、今はヘーゼルと話したくは無かった。彼女の目を見ていると、時々ヒースは酷く自分が汚い気がするのだ。
「分っているわ。仕事の話よ。…入って」
「っ、いけません」
何を考えているのだ、彼女は。自分の立場が分っていないはずも無いだろうに。
「良いから」
「……はい」
きつく睨まれ、仕方が無くヒースは足を踏み居入れた。同時に主に対しての罪悪感が胸を締め付ける。侍女が紅茶を運んでくると、それに手を付ける事無くヘーゼルは話し始めた。
「まずは、また昇進が決まったそうですね。おめでとう」
「ありがとうございます」
「で、本題なのだけれど、嫁ぐ時に何名もの人間を連れて行くのは知っているはね?」
「はい」
侍女の事だろう。
「警備として、貴方を連れて行きたいの」
「…………はい?」
「わかっているわ、ごめんなさい。やっぱり聞かなかった事にして頂戴」
「ちょっと、待ってください!」
警備、と言った。つまりヘーゼルは、嫁ぎ先に自分を誘っているのだろうか。
「私に……エインワーズに行けと?」
「だから、聞かなかった事にしてと……昇進する予定の貴方に言う事では無かったわ」
視線を逸らすヘーゼルに思わず昔の様に、手を捕まえそうになる。
「姫」
息を整える。
「姫」
しばらくして、ヘーゼルの視線が返って来る。それでもまだ、表情は曇っていた。
「お供させていただきます」
数泊後のこぼれるような微笑みに、ヒースは一生をささげる覚悟を決めた。